私がフリーランスになった理由

ワーク

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みなさんは今のお仕事、どのように決められたのでしょうか?

□好きなことを仕事にした
□残業がないから…
□お給料が高いから

色々な理由があって今のお仕事に就かれたと思います。

私は現在「フリーライター」と名乗っていますが、まさか自分でもこんなことになるとは思っていませんでした。
せっかくここに来てくださったみなさんに、私のことを少しでも知ってもらえればな~と思い、フリーライターになった経緯をお話ししようと思います。

いろんな職業を経験した

飽きっぽいわけではないけれど、やりたいこと・好きなことが多かった私。

子供のころからおしゃれが大好きだった私ですが、一夜漬けで勝ち取ったテストの成績が良く(とにかく記憶力に自信がありました。)、なぜか普通の大学に進学する道を選びます。

大学3年生から就職活動、もちろん大好きなアパレルと、大好きなお笑い関係、どちらかに絞り切れない私はいろいろな採用試験に伺いました。

ただ、もうちょっと洋服の勉強がしたいと思った私はキャリアスクールへの進学を決めます。
我ながら、我が道を進みすぎてアグレッシブという言葉では片付けられない有様です。

このキャリアスクールでのファッションショーへ参加してくれたモデルさんとの出会いがきっかけで、小劇団の衣装スタッフとして活動を始めます。

7年ほど在籍しましたが、小劇団って食べていくのが難しいんです。アルバイトしながらの生活でした。

この最中のアルバイトは

■カフェ店員
■通販電話受付
■ファストファッションでの販売員

など。
掛け持ちもしていました。

ただ年齢も年齢(このとき20代後半ですね)。
「やりたいことをやって生きる!」をモットーに生きていた私でしたが、そんな私でも不安定なのはそろそろいかがなものかと悩み始め、劇団の脱退を決意し就職することに。(就職活動がもちろんうまくいかなかったのは省略しますね笑)

そのあと

■アパレルの営業アシスタント
■アパレル生産管理

等のお仕事を経験しました。

なんとなく会社の言いなりで楽しくないな~と感じながら生活していました。
30歳を過ぎていましたし、このころ韓国語やダンスを習い初めていて

「やるならもっとやりがいのある仕事がいい」
「そうじゃないならもっと自分のやりたいことをやれる環境が作れる仕事がしたい」

そう思った私は、最後の転職を決意します。

ただ、ここで悲劇が起きるのです。


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お先真っ暗になった転職

アパレル関係から身を引いた私は、ある卸の会社に事務として就職しました。
心機一転という感じです。

ここでは元からある事業ではなく、新規事業部署のスタッフとして採用されました。
周りは「やる気あるのかこの人達…」という感じの方が多かったですが、私の上司になる方は、やる気に満ち溢れていたし、何よりも

□仕事として充実(事務以外にも企画デザインや広報、HPやネットショップなども担当させてくれた)
□自分のやりたいこともできるスタイル(習い事にもきちんと通えて、必要な時以外は残業の強制などがなかった)

私の求めていた働き方ができて、この部署でなら頑張れる!と、思っていました。

しかし1年後…
業績悪化によりリストラが始まりました。上司は交渉してくれましたが、もちろん社内で一番新人の私がリストラ対象に。
仕方ないことですがつらかったです。

この先どうしようかと悩みましたが、失業手当の出る期間中は一度ゆっくり休んでみることに。

色々考えてみようとゆったりとした生活を送っていた時、ある連絡がありました。
この先の焦りもある私は、悪魔のささやきに負けてしまうのです…。

お先真っ暗になった転職2

連絡はリストラにあってしまった会社の直属の上司からでした。
実は、業績悪化が止まらない前社から、独立を決めたから一緒にまた働こうとのこと。
業務も、そのまま引き継げることになったから内容も変わらないとのことでした。

もちろんまたあの仕事ができる!この人の下で働ける!と思った私はふたつ返事で働く旨を伝えました。

しかしここからが本当の悲劇の始まりです。

新規事業が難しいのはわかっていましたが…
事業はなかなか軌道に乗らず、上司の性格が変わっていきました。

優しくて部下思いの上司はもうそこにはいません。いつもイライラしてあいさつもしてくれないよな上司に代わっていました。


仕事は楽しかったし一生懸命働いていたけど、「何も仕事してない」みたいなことをよく言われるようになりました。

それはそれはつらかったです。

そしてまた半年後…
業績が悪化したからリストラする、と。私はさすがに「2社連続かよ…」と精神的に参ってしまい、粘ってはみましたが

「俺は借金を1,000万かかえてる(銀行から)」
「俺は家族がいる(私は独身)」
「俺が一番つらい」
「会社都合の退職なんて次の就職にひびくわけない」

と言い出し、最後のセリフ…

「ついてきたお前が悪いんだろ!」

確かにそうですね。こんな人間性を見抜けず、会社がうまくいく明るい未来しか見えていなかった私が悪かったのだと思います。

こうして2社連続リストラを言い渡された私。
絶望の淵に立つことになりました。

一念発起するしかなかった

この時点で私は会社、人、働く、ということに恐怖心を抱いてしまいました。
でも働かなければ、生きていけない、大好きなダンスも韓国語も習えない、ライブも見に行けない…

それなら、自分が頑張ればよくて、時間も比較的自由に使える「フリーランス」という生き方をすればいいんじゃないかと思いついたのです。(退職してから3か月かかった笑)

もちろん簡単じゃないのはわかっていましたし、生半可な気持ちではできないのも分かっていました。
でももう覚悟をきめよう!そう思いました。

ここでフリーランスとしての私が誕生したのです。

実は今、「ライター」と名乗っていますがある程度、パソコンや基本的な写真系ソフト等は使えたので、最初はECショップの出品ページを作るお手伝いから始めました。

しばらくたった時、クライアントさんからのこの言葉

「もっとコピーを勉強すれば自分でもお店出せるんじゃない?」

こういわれたことがきっかけで、ライティングの勉強を始め、ライターのお仕事をいただくようになりました。

もちろんECサイトのお仕事もしますし、まだまだライターとしても完ぺきではありません。
ただお仕事をしていると「今までもブログや商品の紹介とか、書く仕事をしてる時が一番楽しかったな~」と思うことがあります。

こうやって紆余曲折してやっと自分の向いてるものにたどり着けたのかなと、今は思います。

今までしてきたことに無駄はひとつもない

正直ライターになるまでに遠回りをしてしまったと思います。
もっと早く始めてたら、今は人にお仕事を振る立場だったかも…とか、もっと文章うまくなってたかも…とかいろいろ考えることがあるんです。

でも今までやってきたこと、本当にひとつも無駄になってなくて…

・ファッションのキャリアスクールで画像ソフトの勉強したからECサイトのお仕事出来てるし
・小劇団の衣装経験が、ダンスの発表会の衣装係として役立ってるし
・接客経験が今のセールスライティングに役立ってると思うし
・リストラされた会社で一人何役もこなしてたから、いろんな業務への適応力もあるんだろうし

というか…
こんないろいろ経験してなかったらライターの道は選べなかった!

それに尽きると思うのです。

まだまだ成功したとは言えない私ですが、今いろんなことに悩んでいる方も、人生で無駄なことなんて何もないってお伝えしたいです。

何年後、「今」を思い出したとき、きっとあの日があるからだな~て思える日が来ます。

私もあんなにどん底だったけど、今が楽しいって笑えます。
むしろリストラしてくれてありがとう!私をライターにしてくれてありがとう!って笑

きっとフリーランスになった理由としてはとっても甘い私ですが、これが私の人生!
もっともっと素敵な文章で人を楽しませたいです。

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